1.自立を促すべきか
自立を促す慣用句で、「獅子はわが子を千尋(せんじゅ)の谷に突き落とす。」「獅子の子落とし」というのがある。
親切は「親しみを切る。親が切る。」と言われるように、獅子が自分の子どもを、自立を促すために愛情持って谷に突き落とすというものだ。しかし当たり前だが、実際のライオンは、わが子を谷底に突き落としたりしない。
問題は、子の自立を願うなら、家を追い出すことが自立につながるかどうかである。この点は、私はケースバイケースだと考える。家を追い出され、「なにくそ。」と思い頑張る人もいる。しかしストレスから悪友に誘われて麻薬など、悪い道に走るかも知れない。
話はかわり、海外のお金持ちや中国の方など、親と同居している方が多い。例えば海外の貴族、日本の皇族、中国の資産家など、基本実家暮らしだと感じる。実家暮らしはお金がたまり、一人暮らしをして生活すると無駄が多く、不動産会社や大家さんに家賃を支払うのはもったいない。と考えている。最近の高騰する水道光熱費も、一人ではなく二人以上で使用することで2倍にならず、照明やエアコン、生活家電等の共有使用が可能なため、平均1.66倍に支出を抑えることができる。
※スマホ学割は25~26歳までが多い。auさんは29歳までOK!だが、世間的に学生やフリーターとして働かなくても許される年齢はこの辺りだと考える。
また、女性が未婚なら職業は「家事手伝い」として、結婚してからも「専業主婦」として働かなくても世間から文句言われず暮らせるかもしれない。しかし男性は、「ニート」や「子供部屋おじさん」、結婚しても「専業主夫」ではなく、「ヒモ」などと言われる。
2.自立はひとそれぞれ
「私は人の自立はケースバイケースで正解はない」
と思う。
私は子どもが好きで保育士をしたり、絵本を書いていた時があったが、有名なアルプスの少女ハイジでペーターがクララの車いすを壊すシーンがある。
アニメでは、クララが自分で車いすを壊してしまったが、原作では、ハイジとクララがいつも遊んでいるのを妬んだペーターが、車いすを壊した。結果としてクララは車いすが使えなくなり歩くことになった。物語の最終回で「クララの意気地なし!」とハイジが言い、「クララが立った!」(自分の力で立ちあがった)シーンは有名で、これは身体的な自立だが、精神的な自立にもつながっているように感じる。しかしながら、物語のように、自立のために歩けない人の車椅子を壊したり家を追い出せばいつも上手くいくとは限らないと感じる。
偶然、ハイジが遊んでくれないので、やきもちから怒りに任せてペーターが車いすを壊したから、結果としてクララが自立することになったが、ペーターはクララを歩かせようと思って作為的に車いすを壊したのではない。自立を目的に壊したなら、それは指導者である。私の父の場合も、自立することの大切さを理性的に、つらつらと語ったら、効果がなかったように思う。
息子を自立させようとする教育的配慮はなく、むしゃくしゃして、「働け!一生カ〇ワだぞ!(一生結婚もできず、家庭も持てないぞ!)」と追い出したことが、偶然良い方向に向かったのだと思う。そのため、「自立させるには追い出す。」という選択肢が、全員に上手くいくとは思わない。その人の性格、育った環境にもより、ケースバイケースである。
私の親の世代の自立は社会人として、「男なら会社員として仕事をして、子どもがいて家庭を築くのが自立である!」との価値観だが、現代は経済的、社会的に自立しているシングルマザーもいれば、敢えて一生独身で過ごしながらも活き活きと精神的に自立している女性もいる。私の自立に対する考え方はゆるくて、「自分の食うメシは、自分で何とかする!」というのが自立だと考える。
3.結局、自立するにはどうすればよいのか
自立は人それぞれで「ケースバイケース」といってしまえばそれまでだが、正解があるとすれば、受け入れるかどうかは別として、時代とともに自立の考え方も変わり、様々な自立のあり方も知っておくことが正解のように感じる。
また自立の反対は依存である考え方もある。私は精神科で働いているが、核家族や母子家庭、恋人など、一対一の結びつきが強すぎると、お互いが共依存の関係になり、人間関係がマイナスになるケースが多いように感じる。人間は最初から一人では生きていくことが出来ず、完全には自立できないと考え、職場や趣味など依存先、共存先をたくさん増やすという考えもある。そして出来るだけ外に目を向け、その人なりに身体的、経済的、社会的、精神的に自立し、成長してけるような、偶然が起こりやすい状況に身を置くことは重要だと感じる。
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